議院内閣制では、国会(国会議員全員)は、内閣に対する全的責任を持つ。

議院内閣制について質問です。議院内閣制を採用している一つの理由として、憲法67条で「内閣総理大臣は国会議員の中から国会で指名される」と定めているからと見かけました。
 議院内閣制の定義を、議会と内閣が一応分離して、内閣が議会に対して責任を負うという制度と考えた場合、どうしてこの67条が議院内閣制の理由となるかがよくわかりません。
 というのは、「内閣総理大臣または内閣のメンバーが国会議員の中から選ばれているから、内閣が国会に対して責任を負う」とは論理的に出てくるものと思えないからです。つまり、内閣は単に国会から選ばれている者たちの集まりで、代理にすぎないので、責任をとらなくてもよいという論理も一応ありうる気がするからです。初歩的な質問ですいません<(_ _)>
 なお、他の条文からは議院内閣制を採用していることは理解できたと思います。

http://q.hatena.ne.jp/1204872547
という質問が転がっていました。質問自体にも驚きましたが、その下に続いている回答にも驚き、コメントで回答を付けてみました。。

質問文に
>内閣が議会に対して責任を負うという制度と考えた場合
とありますが、これがそもそも間違った解釈です。
正しくは、議院内閣制は、「内閣が行政権の行使に対する責任を負うという制度」であり、
かつ、「国会(議会)が内閣(の行政権の行使)に対する責任を負うという制度」です。

このことに関して、あべこべの間違った解釈が生まれる原因としては、
日本国憲法66条3項「内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。」
の文意を読み間違えてしまっているということしか基本的に考えられないと思われます。

この第66条第3項の第一の意味は、内閣がその行政権の行使に対する責任を内閣全員で連帯して持たねばならないことを定めているに過ぎません。内閣が国会そのもの(国会議員全員の言動・身分等)に対する責任を持たねばならない、とか、持つことができる、などと定めているわけでは決してありません。不合理・不可能であることは感覚的にも明らかなはずです。

つまり、内閣が国会(国会議員全員)そのものに対する責任を持てるかのように解釈することは文法的にも現実的にも民主主義的にも全くあり得ない話です。全くあべこべの話です。

もし内閣が国会(国会議員全員)そのものに対する責任を持ってしまったら、それは内閣が国会議員の質問内容を決めたり誰が国会議員にふさわしいかを選んだりする責任を持つことを意味してしまいます、そうなってしまうと、もはや民主主義政治・民主主義議会はあり得ず、その内閣による独裁政治となり果ててしまいます。

日本国憲法66条3項「内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。」

第66条第3項の第二の意味を形成する「国会に対し」という修飾語は、「内閣は、行政権の行使について、連帯して責任を負ふ」という文章の補語に過ぎません。

この「責任」は、内閣の「国会」そのもの(国会議員全員の言動・身分等)に対する責任など全く意味しておりません(民主主義的にも、議院内閣制的にも、そもそも、あり得ませんが)。この「責任」は、日本語として厳密に、「内閣」の「行政権の行使」に対する「連帯」「責任」のみを意味しております。

ただ、内閣全員がその行政権の行使に対する連帯責任を一体誰に対して取らねばならないのか?という問題を憲法としては解決しておく必要があります。この問題に関して、『内閣全員はその行政権の行使に対する連帯責任を、「国民の代表者」(日本国憲法前文)の集会たる国会、つまり「直接的には国会議員全員、間接的には国民全員に対し」取らねばならない!』と定めているだけです。

したがって、内閣不信任案可決などで内閣が総辞職する場合、内閣は国会議員全員、国民全員に対して、その行政権の行使(の不適切さ)に対する責任を自ら取ったということになります。

この66条3項自身が、国会(国会議員全員)が内閣総理大臣を選出して内閣を生じさせる責任(67条1項)を負っているだけでなく、内閣の行政権の行使について看過できない問題があった場合、内閣を不信任したり問責決議したり総辞職させたりしなければならない責任を国会(国会議員全員)が負っていることを明示しています。

つまり、(三権分立による相互の牽制の部分を除いて)端的に言えば、内閣(内閣全員)が国会(国会議員全員)そのものに対する全的責任を持つ、持てるなどということはあり得ず、国会(国会議員全員)が内閣(内閣全員)そのものに対して全的責任を持っている、持たざるを得ないということにならざるを得ません。

更に選出責任(生産者責任)的な観点から俯瞰(ふかん)すれば、
1)国民(国民全員)が国会(国会議員全員)に対する全的責任を持っており、
2)国会(国会議員全員)が内閣(内閣総理大臣・閣僚全員)に対する全的責任を持っており、
3)国会(国会議員全員)と内閣(内閣全員)が司法(最高裁判所長官・裁判官全員)に対する全的責任を持っており、
4)司法(最高裁判所長官・裁判官全員)が国民(国民全員)の裁判に対する全的責任を持っており、
5)国民(国民全員)は最高裁判所判事全員に対する全的責任を持っている、ということになります。

よって、
>「内閣総理大臣または内閣のメンバーが国会議員の中から選ばれているから、
>内閣が国会に対して責任を負う」とは論理的に出てくるものと思えないからです。
は、方向性だけ、正しいです。
それは、内閣はその行政権の行使に対する連帯責任を国会(国会議員全員・国民全員)に対して持たなければならないため、内閣が、内閣(の行政権の行使)に対する全的責任を持っている国会(国会議員全員)に対する(逆方向の、本末転倒の、独裁政治的な)全的責任を(国民に代わって勝手に)持つことができる道理も制度も、民主主義政治である限り、絶対にあり得ない!という事情からです。

また、内閣の国会議員メンバーは、(少なくとも機能面・概念面では)立法府から離れて、立法府から独立した行政府のメンバーに既になっているということであるため、同じく立法府から選ばれた立法府の議長・副議長・委員長・理事・委員たちのようには立法府(国会・国会議員全員)に対する責任を全く持ち得ません。

分かりやすく例えで説明すれば、国会と内閣の関係は、本社と子会社の関係と原理的には全く同じです。子会社の代表取締役社長・役員たちといえども、本社・本社社員たちに対する全的責任を全く持ち得ません。また、本社・本社社員たちは、本社社員の中から子会社の社長・役員たちを送り込み、かつ、子会社の社長・役員たちの業績に対する全的責任を負ったままです。そのため、本社は、いくらでも子会社に文句を言ったり要請を出したりすることが出来ます。『この子会社はもうダメだ』と思えば、本社の一存で子会社を潰(つぶ)すことさえ出来ます。このように、原理的には、国会と内閣の関係は、本社と子会社の関係と同じなわけです。